ひよっこ心理カウンセラーのブログです。 こころの健康のためのお手伝いが出来たら幸いです。
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草花
2013-05-06 Mon 22:01

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『オオシマ草花店』 さんのお花を買いました。

もう、、すごーーーーくかわいいです。吸い込まれそう。


茅ヶ崎はお花屋さんがとても多いのだけど、私の好きなお店は1軒しかなくて、ぴったりくるお花屋さんがあんまりないのです。


で、たまたま展示を拝見して知った、オオシマ草花店さん。
来ちゃったかもねーーーーーーって感触です。
展示も2回行っちゃった。


「草花店」というのがピッタリです。
こう、オシャレ風な余所行きのお花ではなくて、「草花」。

でも野暮ったくなくて、むしろドキドキするぐらい繊細で凛としてる。
素朴だけど、味があって不思議な佇まい。


いいねえーーーー。
大磯で直売してるそうなのですが、大磯まで買いに行く価値があっちゃうねえーーー。



ほんと、動物は植物がないと生きられないんだなあと、我が身で実感です。

ぼんやりと、じーっと、ちらっと、見ていると、言葉に出来ない何かがどんどん沸いてくる。
草花ってすごいちからがある。


こういう野草は、きっと洋風・都会風・無機質風な場所とかにも、がっつり合うよね。


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『サービス(業)』
2013-05-04 Sat 02:00
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さーらりーとーしーたー梅です♪

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今年も梅シロップたくさん作ろうー



そういえば、前にも思ったことがあるのです。
ここからくれぐれも、自戒をこめつつ。

いわゆる慈善事業とか、私たちのような仕事もそうかもしれないけど、
なんていうか世のため人のため系を公言している人たちって、たまにすごく感じの悪い人もいる。
そしてそういう人は目立つ。

こちらが勝手なイメージで接しに行くからなのだろうけど、一際残念な気持ちになる。

こんなことを、改めて思った出来事がこないだあって、
その組織は尊敬すべき素晴らしい動き・働きをしていらっしゃるのに、その人のゆえに応援しないという選択をした自分が、なんか狭い人間かなあ~なんて思ったのでした。


いや、でもね、世の中全部サービス(業)だよ。と私は思うのです。
接客業だけじゃなくて、事務だろうと職人だろうと技術者だろうと、サービス業じゃない仕事なんてないし、
もっと言うとお金が絡もうと絡むまいと、世の中ってサービスで回ってると思っているのです。
友人関係でもなんでも。


相手に喜んでもらうために。相手に何かしらのプラスがあるように。
そうまでいかなくても、お互いに笑顔になれたり、ちょっとでも良い気分になれるように。


サービスっていうとビジネスっぽすぎるかな。親切とか気配りとか思いやりってことかもな。

私はこういう風に考えているもんで、サービス(業)じゃない人や空間などあり得んわ、と思うのです。



さてしかし。上に述べたような人たちっていうのは、自分の考えがしっかりあって、正しい行いをしているという意識もしっかりあるのですよね。
素晴らしくもあり、でもそこなんだろなあ。信念を貫きすぎて刺さる感じなの。


軸は自分にあってブレないけれど、相手の投げるボールに合わせてバットをふれるかどうか。
それには相手をちゃんとよく見る必要がある。自分のことばっかりじゃ相手を見れない。
難しいのだけれど。


自戒をこめて、何をやろうと何を言おうと、結局はその人の、ひととなりなのだ、と思います。

よいサービスをしたい。

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近況ですー、、
2013-05-04 Sat 00:32
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杜若。きれい。
こういうお花をみると日本人でよかったなあと思います。


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ご無沙汰しておりますー。

常々気まぐれ更新ではございましたが、記録的に間があきました、、。

至って普通に過ごしておりましたが、けっこう落ちてはいた。というか混乱してた。のでした。

この数ヶ月のうちに、身近で不幸が相次ぎましてですね。

その負荷なのか別の負荷なのか、なんだか本調子じゃないのでした。


なんだろう。自分が年をとったのだろうか。

生きるとか死ぬとか、なんだろう。って思って過ごして、当たり前だが結局わかんない、と。


思えば20ちょっとぐらいのとき、同じように「生きる意味とは何か。死とは何か。」と真剣に考えていた時期がありました。

その時ももちろんわからなかったのですけれども。


ま実際、意味とかないよねえ。
だって生まれるも死ぬも自分の意思じゃないんだから、「何か。」とかいっても「知らん。」ってことだもの。


それはわかるようになったのだけど、昔のようにドライに死を捉えられないのでした。

なんかすごく「生命」への執着が生まれてきていて。

たぶん、私は生きることを堪能してるんだなあと思います。


お葬式でうちの姉にあって、姉とそんな話をしていたら、姉が

「一日一日を精一杯に生きるしかないよねえ。それしかなくない。」と言っていて、
言葉で表現するとそれなのだ、と思いました。


自分が死ぬときのことをリアルに想像はできないのだけど、

私はきっと「死にたくねー」って思うと思います。おそらく強烈に。


生きることの何がどう素晴らしいとか、表現できないけれど、
くるおしい、というのは多分こういうのだと思うのです。

生きること、生命というものが、ただただくるおしい。



人生はきっと短いのだと思います。

しっかり生きたいです。

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自分のあり方次第。
2013-01-20 Sun 17:43

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冬は海がとてもきれいです~♪


私の知り合いに、ご両親のいらっしゃらない方がいます。孤児の方です。
ものすっごく、愛にあふれた方なのです。
並大抵じゃない深い愛と慈悲の心を持った方で、父親的な強さも母親的な柔らかさもあって、いつお会いしてもとっても輝いています。

ご両親からの愛を生涯この方は経験しないわけですが、この方ご自身は愛そのもので生きている。
すごいことだと思います。


相談業務のなかでも親子の問題って多いですし、私自身もかつて悩みました。
でもこの方をみていると、「人とか環境のせいじゃないんだよなあ、自分のあり方だけが重要なんだよなあ」ってつくづく思います。


思えば、「トラウマ」とか「癒し」とかっていう言葉は、ここ最近のものですね。
でも前述の方とか、例えば戦争経験者の方とかから、そのような言葉は出てこないような気がします。



自分に起こる全てと自分自身の全てを受け入れて、毎瞬を生きたとき、そういう概念自体が存在しないのかもしれないなあと思います。


「知ろうが知るまいが、あろうがあるまいが、愛そのもの以外は存在しない」
愛そのものっていうのは、力とか賢さなども内包されていると思います。
すごく抽象的ですが、私はなんだかそういう風に思います。



でも、もし何かで心が傷ついていたり葛藤していたりすると、愛そのものでいることが難しく感じたりもするかもしれませんよね。
そういうときは、「自分自身を知る」ということが欠けてるのかもなあと思います。

自分自身の持つどんな気持ちでも感情でも思考でも、ちゃんとそれに気がついてあげて、自分の一部として仲間にいれてあげないと。です。

見たくない感情でも拒絶したい部分でも、なくそうとするんじゃなくて、それもあって良いです、と許可してあげる。

自分自身を知るというのは、否定や矯正は伴わないのですから、怖くももなんともありません。



私はよく思うのですが、過去の記憶って、自分の都合の良いように作っちゃえる部分もあると思うんですよね。
そのときは相当傷ついた気がしても、よくよく内面を感じてみると本当は傷ついていない。

出来事そのものには意味はないと思うのです。
それを自分がどう捉えたか、どう位置づけたか。
そのときに「自我」が勝っていたのか「真我」が勝っていたのか、それだけだと私は思います。
それによって、過去の記憶は変わるものだと思います。



経験自体がどうこうではなく、そのとき何をどう捉えてどんな糧にしたのかという、自分のあり方が大事なわけですよね。

自分自身を知ることは、つまり自分のあり方を知ることです。

どんなときでも、人や環境の問題じゃなくて、自分自身のあり方だと思います。


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新年のご挨拶+ 守られてるよねっていう話
2013-01-06 Sun 00:22
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2013年、スタートしましたね♪
日本中、世界中の人みーーんなが、沢山の幸せを豊かに享受できますように!!
本年も、すずカウンセリングルームをどうぞよろしくお願いいたします。
(喪中なもので、一応おめでとうはやめときます)


写真は1/3の湘南です♪
三が日はずっとすごーくお天気が良くて、気持ちよかったですね~♪
なんだか良い一年になりそうだぞ!!って感じでした♪


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今年はそういえば初夢ってみなかったなあ。
ここのところ、初夢は”大”の夢だったんですけどねえ。自分の”大”と牛の”大”なんだけど。(詳細はブログのどっかに書いてありますが、お正月から引く話題なので参照しないでくださいませ・笑)




さてと。
唐突ですが、最近改めて「守られているんだなあ」って思います。感覚の話であれですが。

何になのかはよく分からないんですが、とにかくものすごく大きなちからの中に私たちはいて、ずっと守られているように思うんですよね。

あ、ずっとって言ってももちろん人間には寿命があるので、人それぞれに与えられた時間のなかで守られてるってことですよ。


大変なときとか苦しいときとか、いろんな問題を抱えている最中はこう思えないんだけど、
ほんと大抵のことは「どうにかなるもんだし、どうにでもなるもんだ」と思います。

必要な手助けも必ず用意されているし、ご褒美とか頑張ったで賞も必ず与えられるし。

だからもっと安心していいし本当に大丈夫!!って、人にも自分にもよく思うのです。



自分のちからではなくて、何かの大きなちからによって生かされているような、そんなような経験がある人、きっとけっこう多いはず。


そもそも太陽も月も、地球上の誰にでも必ずその恩恵を与えてくれていて、酸素も水もあって、いろんな実のなる草木もあって、
まずそれらが「守られている・与えられている証拠」な気がします。


もし仮に自分がアリンコとかノミとか小さい生物で、アリンコ大好き・ノミ大好きな人間がいたとして。
その人間が自分を守って育ててくれていたとしても、小さい生き物の自分には、人間の全容はわからないかもしれないですよね。

それと同じような感じかもしれませんけれど、地球に生きる私たち人間は、きっと、何かに守られながら生きてるんじゃないかなあ。。
感覚だから説得力ないんだけど、っていうか、だったらいいね?


日本には神社やお寺がたくさんあって、お参りに行って手を合わせる習慣もあるし、ご先祖様を大切にする慣わしもありますね。
なんというか、そういった「目には見えない大きなちから」に対して、日本人はもともと敏感で、尚且つそれを敬ってきた種族なんだろうなと思います。

そこに戻っていくような気がするんだよなー、世の中全体が。



まあ、お正月なので、そんな感じのちょっと神妙なことを思ったりしております。


要するに、みんな守られてるから大丈夫!安心しましょう!って言いたいのでした。
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