ひよっこ心理カウンセラーのブログです。 こころの健康のためのお手伝いが出来たら幸いです。
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自分のあり方次第。
2013-01-20 Sun 17:43

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冬は海がとてもきれいです~♪


私の知り合いに、ご両親のいらっしゃらない方がいます。孤児の方です。
ものすっごく、愛にあふれた方なのです。
並大抵じゃない深い愛と慈悲の心を持った方で、父親的な強さも母親的な柔らかさもあって、いつお会いしてもとっても輝いています。

ご両親からの愛を生涯この方は経験しないわけですが、この方ご自身は愛そのもので生きている。
すごいことだと思います。


相談業務のなかでも親子の問題って多いですし、私自身もかつて悩みました。
でもこの方をみていると、「人とか環境のせいじゃないんだよなあ、自分のあり方だけが重要なんだよなあ」ってつくづく思います。


思えば、「トラウマ」とか「癒し」とかっていう言葉は、ここ最近のものですね。
でも前述の方とか、例えば戦争経験者の方とかから、そのような言葉は出てこないような気がします。



自分に起こる全てと自分自身の全てを受け入れて、毎瞬を生きたとき、そういう概念自体が存在しないのかもしれないなあと思います。


「知ろうが知るまいが、あろうがあるまいが、愛そのもの以外は存在しない」
愛そのものっていうのは、力とか賢さなども内包されていると思います。
すごく抽象的ですが、私はなんだかそういう風に思います。



でも、もし何かで心が傷ついていたり葛藤していたりすると、愛そのものでいることが難しく感じたりもするかもしれませんよね。
そういうときは、「自分自身を知る」ということが欠けてるのかもなあと思います。

自分自身の持つどんな気持ちでも感情でも思考でも、ちゃんとそれに気がついてあげて、自分の一部として仲間にいれてあげないと。です。

見たくない感情でも拒絶したい部分でも、なくそうとするんじゃなくて、それもあって良いです、と許可してあげる。

自分自身を知るというのは、否定や矯正は伴わないのですから、怖くももなんともありません。



私はよく思うのですが、過去の記憶って、自分の都合の良いように作っちゃえる部分もあると思うんですよね。
そのときは相当傷ついた気がしても、よくよく内面を感じてみると本当は傷ついていない。

出来事そのものには意味はないと思うのです。
それを自分がどう捉えたか、どう位置づけたか。
そのときに「自我」が勝っていたのか「真我」が勝っていたのか、それだけだと私は思います。
それによって、過去の記憶は変わるものだと思います。



経験自体がどうこうではなく、そのとき何をどう捉えてどんな糧にしたのかという、自分のあり方が大事なわけですよね。

自分自身を知ることは、つまり自分のあり方を知ることです。

どんなときでも、人や環境の問題じゃなくて、自分自身のあり方だと思います。


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